新しいものが怖い
新しいものが怖い。
何言ってるかわかんねーと思うかもしれないけど新しいものが怖い。
具体的には、「新しく遭遇する過剰におもしろいものが怖い」のである。
新しく遭遇する過剰におもしろいものっていうのは、ひとによってそれぞれ違うからなんとも言えないんだけど、ここに新しいもの怖い論を展開していきたい。
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日常のささやかな楽しみとして、映画を見ることが日課になっている。
この前「ライフ」という2017年の夏に公開されたSFパニックホラーのジャンルムービーを見ていた時にこのもやもやしていた今までの思い、というかそれほど意志のあるものではないけれど感じていたものの全容の輪郭が見えてきた。
以下予告編↓
見た映画の話に戻るけど、この「ライフ」という映画が良く出来ていて、主演のジェイク・ギレンホールはもちろんのこと、ライアン・レイノルズ、レベッカ・ファーガソンや日本からは真田広之ら実力派俳優がすごくいい。
ぶっちゃけ話自体はエイリアンの現代版というかそれ以上でも以下でもないんだけど、予告編見てもらったらわかるとおり、おもしろそうで最高にゾクゾクする。実際最高におもしろい。
この「ライフ」が思った以上に良くて、こういうジャンルムービーを見るときって、如何にそれまでのジャンルムービーとしての型にハマったストーリーラインやらプロットを壊して新しいものを見せてくれるかがこの手の映画の評価のキーポイントになってくるだろうけど、この映画では目新しい設定やアイデアはほとんどない。
唯一あるとすれば、予告編でもある、手(というか指)破壊描写だけど(殺し屋1みたいにこっちまで痛みが伝わってくるような最悪(で最高)なシーンだった)基本的には想像しているもの以上のものは出てこない。
でも今まで散々見てきたようなこの手の映画のお約束を完璧に再現している上に、細かいところでの気配りもめちゃくちゃできてる。
こういう映画を見るときに観客が欲しい要素が全部揃ってる。エイリアンの造形もキモすぎて最高だし、スペースシップのクルーのキャラも立ってるわ、マジで最高。ほんとすげーウェルメイドな作品であることは間違いない。オチなんかも最高に良くて、SF映画でありがちなインテリぶった終わり方じゃないのもすごくいい。マジで大好きな映画になってしまった。
個人的にはこういうSFホラー好きな人になら間違いなくハマる100点の映画だと思っていて、もうこれが過剰におもしろすぎた。
映画の話はこれくらいにして、新しいものが怖い論に戻る。
これはこういう映画を見るという体験の上では一番のものだと思うんだけど、この映画見ている間中、過剰におもしろすぎて気が気じゃなかった。
もちろん、こういう映画は大好きだから何回もアホほど見てるのに興奮が止まらなかった。
これは、ほんとに100%楽しんでるからよかったじゃねーか、と思われるかもしれないんだけど、過剰におもしろすぎるのをどうにかしてくれ!!!!!!
こっちは見てる間高ぶりすぎて気が気じゃないんだよ!!!!!
見てる間心臓がバクバクで、ああこいつ死ぬな、とかはしっかり頭ではわかっているのにどうしてもドキドキしてしまう。
普段生きてる生活圏では刺激の閾値が狭すぎて、どうしてもそれを超えてくるような、自分の興奮の受け皿に耐えうるのより遥に大きい興奮が上から降ってきてもどうしても全部はすくいきれない。
こういう状況になってしまうと、映画を見ている間、もちろん最高に自分が楽しんでいることはわかっているんだけど、早くこの映画が終わってくれ、とさえよく思う。
映画が終わることによってこの興奮体験をも自分の一部にしたいのだ。そうしないと予測不能な過剰な面白さが全力でぶつかってきた時に身がもたない。
映画を見終わって自分の一部になってしまいさえすればもう自分の意志とは関係なくドキドキすることもないし、穏やかな日常生活に戻れる。その後、今見た映画おもしろかったな、あのオチが最高だった、あのシーンは本当にハラハラしたなあ、などと安全圏から思い返すことができる。
そう、過剰におもしろすぎる映画を見ている間は戦場の最前線にいるような気分なのだ。もはやここまできてしまうと、過剰に面白すぎるが故の興奮がストレスにまでなってしまっているのではないかと思うこともある。実際にはそんなことないけどね。
これは映画に限った話ではなく、あらゆることに通底する話だと思う。
例えば名前だけ知っているようなミュージシャンのアルバムの1曲目が予想以上に良くて2曲目以降も自分の好みとほぼ完璧に一致してしまった場合。
僕自身はこういう状況に陥ると、そのミュージシャンのディスコグラフィが多ければ多いほど目眩がする。
ああ、こんなに自分の好みのがあって、それを一つ一つ聞いていかなければならないのか、と。嬉しい悲鳴とはまた違った、やらなければならないタスクの終わりが見えないような途方もない虚脱感。
決して無理に聞いているわけではないので実際にはやらなくてはならないタスクのようには全く思わず、ここはあくまで例えとしての表現であって、実際には早くこれらも全部聞いて自分の一部にしたい、早く安全圏から語りたい、という願望の裏返しであって、喜ぶべき状況である。
そう、こういうことがあるから新譜を聞くのには体力を使うよな。普段から聞いてる、もう自分の一部になってしまったものの従順なこと。安心感すらある。だけど、新譜にはそれがないので、いつもやや緊張しながら聞いてしまう。
初対面の人と話すときの緊張感にも似ている。やっぱり知らない人と話した後は普段よりどうしても疲れるあの状態に少しだけ似ている気もする。人見知りじゃない人でもこういうこと思ったりするのかな。
どうなんだろう、これは俺が神経症なだけなのか。そんなことはないと信じたい。